深い話ができる人が近くにいないという話
悩みというほどではないのですが。何となく感じていることについて。
私は社会人になってから東京に出てきたのですが、
人との距離感が遠いなーという気持ちをずっと持っていました。
距離感が遠い、というとすこし言いすぎかな。
自己開示が少ない、もしくは自己開示するまでに思ったより時間がかかる、という感じかも。
まぁあれですよね。関西人が関西弁でずかずか土足で踏み込んでくるっていう風に他地域の方が感じてるとしたら、それの、逆パターンですよ。
こちらとしてはずかずか踏み込んでるつもりはもちろんなく(悪気ないからタチ悪いのか?!)、
お互いのことを知って仲良くやって行こう!ていうだけなんですけどね。多分ね。
で私は生まれてからその環境で過ごしたわけで、
たとえば会社の同僚とか、今だったらママ友とかとも、
自分はこうこうこういう生い立ちで、
こんなことを経験してきてこんなことを考えるようになって、
だから今こういう環境でこんな風に生きているんです。
というようなことを話すというのはごくごくごーーーーーく
自然なことなんですね。
まぁママ友とかだと探り合いになったりすることもあるかもしれないので、
オブラートに包んだり包まなかったり、それは相手とのそれこそ距離感によって話す深度は変えるけども。
基本的には人間はみんないい人だと思っている節があり、相手を信頼しているからなのかな。
ただそれを東京でやってしまうと、どうも「いきなり個人的なことまでべらべら話すし聞いてくる人」みたいに受け取られている、気がするんですねー。
そこまでいかなくても、「なんかちょっと違う人」みたいな。
そんなわけで、「自分はこう考えている」「こんなことに悩んでいる」
みたいな、自分の内面やスタンスについて語り合える人が、近くにいないのです。
あーーーうん、「語る」って感じがぴったりくる気がする。「話す」じゃなく「語る」。
じゃあ東京の人は何を話しているのか?というと、
「情報交換」をしているのかなぁと。
あそこの店のなんちゃらがおいしかったーとか、
どこどこ行ったけど楽しかったーとか。
そういう話、嫌いじゃない!むしろ、好き。というか欲している。
だって東京のこと、いまだにあんまり知らんねんもん。
とくに子連れになって「行きづらい場所」ができたり、「楽しめる場所」が変わったりしたので、これまた全くのゼロからのスタートなわけで。
なので私はもっぱら情報共有を受ける側、なんですが、
本当にありがたいと思ってる。
だけど、そんなんだけやと話広がらんくない?
この人はこういう人、こういうところが素敵な人って、わからんくない?
もちろんさー普段の言動とかでもわかるんやけど、何を大事にして生きてるかとか、知りたくない?
…これがずかずか踏み込んでるってことなのかしらw
しかし東京の人たちは、そういう深い話を一体誰としてるんやろうか…。
ということを、大学生の時から東京にいる同級生に話をしてみたら、
同じことを思っていたそうです。で、東京(というか関西以外?)だからなのか、年齢によるものなのか、、はたまたそれ以外か。
のどれかじゃないかと(そらそのうちのどれかなんやけど)。
でもブログとか、facebookとかだと熱く語ったりしてるでしょ。東京の人も。
だから熱い気持ちがないとか、深く語ることをよしとしないとか、そういうわけじゃないんだろうなと思うわけです。
というわけで、私はこれからも関西人であることを言い訳にしながら、
適度な距離感をちょっとずつちょっとずつ詰めて、
語り合える東京での友人を増やしていきたいと思います!